≪冨田酒造リーフレットより≫
雪深い琵琶湖の最北端、賤ヶ岳山麓の旧北国街道沿いで460余年の歴史を刻む酒蔵。霊水と名高い奥伊吹山系の伏流水と地元篤農家による減農薬栽培米を中心に、厳選された原料米を使用。昔ながらの厳寒仕込みに徹し、地酒の「地」の部分を大切に、少量を吟味して醸造する事を最重点としています。
銘柄は賤ヶ岳の合戦で武功を立て秀吉を天下人へと導いた加藤清正、福島正則ら勇猛な七人の若武者「賤ヶ岳の七本槍」に因み、「勝利の酒」「縁起の良い酒」として喜ばれています。また、ラベルの字は当家に逗留した北大路魯山人の手による篆刻を使用しています。
≪北大路魯山人と冨田酒造の関係 ホームページより≫
大正2、3年頃。まだ福田大観と名乗っていた若き北大路魯山人は、長浜の紙文具商 河路豊吉にその才能を見込まれ長浜をはじめ湖北地域に逗留していました。その際、当蔵12代八郎とも交流があり、「七本鎗」「酒猶兵」の作品を残しております。
自然に恵まれた近江での河路との出会いがきっかけとなり、長浜・京都・福井・金沢・山代でその天分を開花させていきます。作風に最も勢いがあり、ハングリー精神があった頃の魯山人の作品の下で、酒造りを出来ることを嬉しく思い、その気迫には刺激も受けます。
≪雑誌サライ「北大路魯山人 大全」より≫
〜銘酒「七本鎗」の酒盃を重ねて語り合った、若き夢や思い〜
江戸時代、北国街道の宿場町として賑わった木之本にある冨田酒造は、450年以上の歴史を持つ蔵元。銘酒「七本鎗」を醸造販売する老舗で、魯山人も長浜滞在中はこの酒を愉しんだ。
冨田酒造12代蔵元・冨田八郎忠明は書画を嗜む風流人で、竹内栖鳳や河路豊吉もよく訪れ、広い交際範囲で知られていた。長浜の河路家に逗留していた魯山人が訪れたのも、ごく自然な成り行きだったのだろう。魯山人はここで、扁額『七本鎗』を制作している。“槍”の字を酒の器も意味する“鎗”としており、同社でも現在、ラベルの一部に“鎗”の字を用いている。
「魯山人も忠明も、ともに当時30代。酒を酌み交わし、自分たちの夢や文化談義をしたのでしょうね」 14代当主の冨田光彦さんは、そう語る。
魯山人が愛飲した酒は、辛口ながら、ふくよかな旨味がある。
≪七本鎗 冨田酒造の住所≫
〒529-0425 滋賀県長浜市木之本町木之本1107
ホームページ
http://www.7yari.co.jp