幻の酒米「渡舟 わたりぶね」について
「渡舟」は明治28年、滋賀県農業試験場で生まれました。
これは福岡から取り寄せた備前「雄町」を純系淘汰することで育成されたと言われています。
「渡舟」の子である「山田錦」同様背丈が高く、さらに病害虫に弱いなどの理由から、戦後の食糧政策の影響も受け栽培が途絶えていました。滋賀県では酒米として広く栽培されていましたが、昭和34年が最後の栽培であったと文献にはあります。「渡舟」は長らく栽培が途絶えていた品種ですので、その来歴ははっきりしたものではなく、「雄町」と異名同種と言われたこともありますが、今のところ「渡舟」と同じ系統の米であるが、別の種類であるという見方が正しいようです。一方、「山田錦」は昭和11年に兵庫県の農業試験場で開発をされました。父を「渡舟」、母を「山田穂」として現在の王道たる酒米は生まれました。「渡舟」の復活栽培は、滋賀県農業試験場に僅かな種籾が残っていたことに端を発します。
一昨年には収穫に向かっての種籾を採るための栽培、そしてついに昨年秋 酒造用に使用できるだけの「渡舟」が収穫されることとなりました。
「渡舟」は前述の通り「山田錦」同様背が高く粒は大変大きく、収穫は非常に遅い晩稲品種です。
性質としては「山田錦」に比べ若干吸水が早く、「山田錦」と異なり食すと旨味のある米であります。この米が移民と共にカリフォルニア米の主流「カルローズ」の始祖になたっと伝えられています。 |